娘を叱って気づく・・!  2022年12月22日号 No.457

先日のメルマガから一転・・

危篤から復活した母でしたが
その五日後に
帰らぬ人となってしまいました

夜にごめんなさい

 

もう葬儀も身内だけで終え
今週はマスヨ塾もお休みもいただき

 

年末のサロン業務をこなしています

基本、お客様には関係ないことなので
アナウンスはしておらず
亡くなった日の
ブライダルエステも

花嫁様を最高の状態に仕上げさせて頂きました

同じくサロンをやってらっしゃる先生が
たまたま数日前にお話をしたときに

 

やはり年老いた親を気にしながらも
サロンをされながら

「『プロとしての仕事をこなすこと』を
親も望んでいるので」とおっしゃっていて

深く感銘を受けたところでした

それで私は

常連さんは日時をずらして頂き
ブライダルエステはしっかりこなすことができました

それで母との最期の時間を
弟と一緒に
たくさん話しかけて

2日間ちかくを過ごせたのです

 

ここからは
私がこの数日で得た
最大の「気づき」を
お伝えしたいと思います

<長くなりますので
どうぞお忙しい方はスルーしてください>

病院での面会の間

音大の4年生で声楽をやってる長女(母の孫)の歌を

iPhoneで母に聴かせながら

今彼女は23日の発表会に向けて頑張っていることや

年末年始は

ここに帰ってくるから
生で歌を聴いてもらえるから
それを励みに頑張ろうね、と励ましていたのでした

 

それが・・・

 

思いがけず
こんなに早くお迎えが来てしまったわけですが・・

葬儀の日は日曜日だったため
授業もなかったので
長女はバイトの都合をつけて戻ってきました

母の棺にお花を入れて
出棺という時に

私は娘に
(こんな形になってしまったけど)
母の前で歌ってほしいと言いました

身内も

「りんちゃん、歌って」と。

 

ところが
娘は
「こんなところで?」

歌うことをしませんでした

 

色々事情はあったかもしれない

 

発表会前で喉は労っていただろうし
伴奏がないところで、とか

歌詞の意味が・・・とか

 

声楽家としては
色々あるのかもしれない

 

東京の音大に出して

そういうクラッシックのトップの世界の

決まり事とか常識とか
あるのかもしれない

 

でも・・・

 

ここで最期の出棺という時に

私は
母に孫の生演奏を聴かせたかったのだ

そして願ったが叶わず

 

またiPhoneを流した・・・・・

 

なぜ歌わないのーーー???と

心の中で叫びながら。

 

そして

出棺を終え、斎場に向かう車の中で
もう黙っていられないと思ったんです

 

娘に言いました

 

「歌は誰のためにあるの?」

 

聴いてくれる人がいて

今、歌ってほしいと願う人がいて

そこにいる人も慰めることができるのは

歌の役目ではないのか?

大学では難しいことを習っているかもしれない
技術も磨かれたかもしれない

 

でも、

本当に今、あなたの歌が必要だと

願う人がいて場面なのに

 

歌えないって、どういうこと??

 

歌うことの自己満足のために

音楽を学んでいるわけではないでしょう

芸術はそうなの?

そんな芸術を学んでもらうために
東京に行くのを応援してたわけじゃないと思うよ

ここにいる人みんな、あんたを

 

人の役に立って、はじめてなんじゃないの??

 

私が歌うのではダメなんだよ

りんちゃんの歌じゃないとダメなんだよ

ばあばが聴きたかったのは
あんたの声だったんだよ

 

歌詞なんかどうでもいいし
伴奏もいらん

 

あんたに歌って欲しかったんだって・・・!

 

がっかりだよ・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

その場では

娘は何も言わなかったです

 

私も感情で訴えてるようにしか

聞こえなかったかもしれないし・・

 

ただ、親として

社会に出る前にこの娘に

勘違いするなよ!と言ってやれるのは
今、ここで
親である私しかいないと
そういう気持ちになったのです

人に喜んでもらって
はじめてお金になる

商売をしていたら当たり前のことですが

この先、娘がどれだけ
芸を磨いていたとしても
そこに気がつかなければ売れない

生活できない

必要とされない

ピカソとゴッホの違いです

 

言うだけ娘に言ったので

もう、これでやめよう
今わからなかったとしても
いつかそこに気が付いてくれたら・・と

 

娘は黙ってました

しかし斎場に着く前までに

こんなに感情を表に出してしまった私の側にも
気づきがあったのです

 

こうやって

母も私を
かつて心配していたに違いない

「あんた調子に乗ったらあかんよ」

 

よく言ってました

 

そうか、母はここでも

斎場に向かう中でも
私に身をもって気づかせてくれたのか

 

いっぱい心配してくれて

想ってくれて

 

ありがとう・・・・!!!!!!

母の愛を

娘を叱ったことで
自分に
それを
気付かされるという形になりました

斎場で
本当に最期の最後のお別れという時に・・・

 

娘は

うわずった声で
泣きながら・・・
神を祝福する喜びの歌を歌いはじめました

 

そして

立派に最後は歌い切りました

私の弟も
本当にありがとう、と
娘の肩を抱き

その場にいた親戚みんなが拍手しました

母は絶対に棺の中で
ニヤニヤしながら頷いていたと思います

思いがけず
あなたの娘として生まれ
思いがけず
この娘(長女)の母になって

この世は愛で満ちていて

愛されるためにみんな生まれてきた

そんなことを思いました

最後まで
読んで頂きありがとうございました

偶然かもしれませんが
ここ
昨日今日と
久しぶりのお客様もいらして
やはり親や大事な人を今年亡くされていたりして

 

・・・サロンの仕事は

 

本当に本当に

 

ありがたいお仕事ですね

インジョーイ、マスヨでした