一般的には、一人で運営される美容室やエステサロンのことを表現しています。
お客様にとっては、贅沢なひと時間を楽しむのに最適な場所かもしれませんね。
今では、「個人経営で自ら施術も行い、集客も経営も全て1人で運営されているサロン」の総称として
美容室、エステ、整体、ネイル、カイロ、お教室・・・など
広く、業種を超えて、使われています。
最近では
色々な働き方、生き方があり
子育てや介護をしながらサロンをやっていきたい方や
趣味を本格的なビジネスにしたい方など
自宅で「おうちサロン」を開業する方も増えています。
従来からある
路面店やテナント店などを含めると
さまざまな形の
『1人サロン』が存在しています。
新規のお客様が来ない
予約でいっぱいのサロンになりたい
価格を上げたいけど自信がない
毎月の支払いをすると「もうけ」が残らない
お客様がリピートしない
無理せず、売り上げを上げたい
次回予約がなかなか取れない
技術はあるが、お客様とのトークが苦手
効果的な宣伝の仕方を知りたい
キャンペーンをしなくても毎月安定した売上が欲しい
なんとなく毎日が過ぎている
このままでは時代に取り残されそう・・・
何から始めていいのか分からない・・・
こんなお悩みを持ちながら
一人でサロンをやっているサロンオーナーの方へ
脳を最大限に使うサロン経営で
疲れない!
自然体で売上がアップする!
1人で楽しみながら目標達成!
できたら楽しくないですか?
当サイトは、あなたが
まるで息を吸って吐くように自然体で、
楽しみながら売上をみるみるあげることができるようになり、
自分らしいサロン運営ができるようになる
その参考になればと創設しました。
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また
定期的に
『1人サロン』の方向けに
単発のZoomやリアルセミナーなども開催しておりますので
直接学んでみたい方は方は
そちらもオススメです。
『一人サロンオーナー』とは
小さなサロンの『一経営者』。
真に成功できる経営者とは
決断業なのです。
ちなみに
1人サロンの成功には
大きく3つの要素が欠かせません。
1.自分ブランド化&自分メディアの発信
2.小さなサロンならではの小さくガッチリ賢い経営術
3.脳科学、心理学を取り入れたサロンワーク
この3つの要素から、
わかりやすく、お伝えしてまいります。
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なぜそもそもこの私がこのような講座を
あなたに提供したい!と思ったかと申しますと
それには理由があります。
これより、私、渡辺マスヨについてお話しさせてください。
私がお店を始めた頃はまだ2人の子供が小学生でした。
私のエステサロンは、順調ではなく、何より、オープン当初
顧客ゼロ。しかも、数千万円の借金がありました。
その1年前に主人と美容院をオープンしていたのですが、
美容院は3ヶ月で破綻状態。
みるみる借金が膨れ上がり‥
そんな状態からの私のエステサロンのスタートでした。
ただでさえ、経営が素人の、
どんぶり勘定でスタートしてしまったことが美容院経営の失敗でしたから、
もう後がない状態。
失敗するわけにはいきませんでした。
この小さなエステサロンだけは
とにかく
小さいサロンながらも
経営の基本をきちんと学んで実直に進めよう、
そう思い、
あらゆるところに勉強に出かけ、
学んだことはすぐに実行し、
一人一人のお客様を大切に、
地道な店舗経営を心がけました。
ですが
やはり借金を抱えていたこともあり、自分の心も何度何度も折れそうになりました。
私たち夫婦には2人の娘がいます。
当時まだ小学生の2人にも苦労をかけました。給食費が期日までに払えない月もしばしばでした。
2人を育てていかなければならなかったので、
暗い顔ばかりもしておれず
夫婦でアルバイトを掛け持ちしながら、
夫は一度は潰れた美容院を、
私は新しく始めたエステサロンを、
それぞれが
小さな1人サロンオーナーとして頑張っていきました。
実はその頃、
長女にはまだ本人に告知していない
難病がありました。
幼い頃からよく転倒し、いつも膝が血まみれでした。長いこと 原因がわからずだったのですが、
ついに足が変形してきてしまった為に
10歳の時に手術を施すことになり
その際に脊髄注射をして染色体を調べたところ、
ついに病名がわかったのです。
彼女には手足がだんだんと麻痺してしまう、末梢神経の難病があることが判明したのです。
症状か早くに出ていることから、お医者様には「20歳で車いすになることを覚悟してください 」
と言われました。
そして、
「今回手術はしても一時的な措置。この先も手足はゆくゆく不自由になってしまう。だが幸いにも脳や心臓などへの麻痺はない。だから彼女には勉強をさせなさい。頭を鍛えて、たとえ車椅子でも手足が動かなくても、知力で生きていけるように今から準備しなさい。」と。
私はお医者様の言うとおり、彼女にはとにかく勉強をさせようと、
小学校を卒業した後は
当時地元には1つしかなかった私立の中高一貫教育学校に入学させました。
1人で生きていく知恵を身につけさせるために親としてはただひたすらに勉強させることが一番だと思いました。
それ以外のことはもう一切必要ない。
彼女には時間がないのだから‥と。
実は
彼女は小さいときから歌やお芝居などの芸事が好きで、
手術の後からも
宝塚に入るにはどうしたらいいのか?
とか、劇団四季に入るには?
とかさんざん私に聞いてきていました。
しかし、難病のことを当時彼女に告知していなかった私は、
心の中で、ぐっとこらえました。
親として、
子どもを自立させるためには‥
親の私たちが先立っても
1人で生きていけるようにするためには‥
彼女に芸術など不要!
と思ったからです。
芸術でなんて生きていけない。
そんな甘い夢を決して彼女に見せるわけにはいかなかったのです。
しかし、彼女の思いは消えることがなく、むしろますます増幅していたのです。
そして
中学の卒業式を迎えた日、
仰げば尊し を熱唱する彼女の声だけが他の誰よりも明らかにハッキリと
高らかに響いていました。
周りのママたちに
どうして歌をやらせてあげないの?と言われても、
私は頑なに言い放ちました
「あの子に音楽は必要ないの」
ただ私のなかでも
何か悶々とあり、切ない気持ちもあり、
こうなったら病を告知するべきなのか?
どれが彼女にとって良いことなのか
考えあぐねていました。
ところが、転機が訪れたのです。
その日、なぜか
そんな悩みをお客様に打ち明けながらエステをしていたところ、
そのお客様が、突然ベッドから起き上がり、私に言ったのです。
「マスヨさん、音楽のなかでも声楽に限ってはね、ピアノやバイオリンと違って、20代、30代で声帯ができてくるのよ。 遅いスタートでも大丈夫なの。声楽は身体が楽器だから、要は、お嬢さんがご自分の身体に良い楽器を持っているかどうかなのよ。だから、一度専門家に見せた方がいいわよ 」
後で知ったのですが、そのお客様は地元でも有名なピアノ教室の先生でした。
そして数日後、
そのお客様から電話があり、まだ見せていないなら、ということで、
これまでに国内外に声楽家を育てておられて、お客様からも大変信用のおける大学教授の先生を紹介してくださったのです。
そして、彼女の歌をその教授先生に聞いていただく日が来ました。
私は、これで才能が無いとハッキリ言われ、キッパリ諦めてくれたらという気持ちで、教授先生のお宅に長女を連れて行きました。
しかし、
初めて彼女の歌を、
教授先生の優しく奏でるグランドピアノにのせてフルコーラスで聴いているうちに
自然と涙が溢れてきてしまったんです。
そして
最後まで歌いきり、
伴奏が終わったあと、
教授先生がピアノの扉をたたみながら発した言葉が、
「お母さん。今この場で、彼女が歌手になれるとか、そういったことはもちろんお約束はできませんが、でもね、
お母さんも聴いていて分かりましたよね?
彼女が生きていく上で、必ず
音楽は彼女の人生の支えになりますよ 」
一番彼女の人生の支えになるであろう音楽を、私は娘から必死に遠ざけてきていたのです。
もう涙が止まりませんでした。
それまで、
親として彼女に音楽を封印してきた私でしたが、
その日のうちに主人と話し合い、
彼女の夢を全力で応援することに決めたのです。
彼女が芸術で生きていけるかどうかはわかりません。
でも確かになったのは、
もう、こうなったら、
親として、
彼女がやりたいと願う声楽の道に、
彼女の人生の支えになる音楽の道に、
何がなんでも進ませてやりたい!
そう、親の私達が、
覚悟した瞬間でした。
それからというもの、
普通科高校から
3年間で
しかも現役で
音大に入れるということが
家族最大のプロジェクトになりました。
もちろん、音大の授業料は医学部並みで高額です。
しかも、
それまで音楽の専門教育を受けていない音楽素人の15歳です。
音符すら読めない
ピアノも弾けない
そこからのスタートです
音大に入学させるまでにも、
すぐに
複数の先生をレッスンに付けなければなりませんでした。
たちまちレッスン代もかかってきます。
自宅で練習するのには
ピアノも買わなければならない。
しかし不思議なことに
そこから、私のエステサロンの売り上げは、私のプレッシャーと比例して、メキメキと上がっていったのです。
何としても、彼女の夢をかなえてあげたいという親としての気持ちが
おそらく、
サロン経営にも
あらゆることへのチャレンジの後押しをしたのだと思います。
普通科高校に行っている娘、
しかも
音符の読み方も
ピアノも今から、という
音楽素人の彼女を
3年間で
音楽の専門大学に入れるという、
とんでもないチャレンジ。
これは多分
普通にしていたのでは
合格させることはおそらく無理だろう
と考えた私は、
人間の可能性を短期間でなんとか最大限にするためにはどうしたらいいのか
必死で情報収集を始めました。
そこで一つの可能性にかけました。
脳の力を使うことに注目したのです。
こうして、アンテナを立てていると
自然とご縁や巡り合わせがあるもので
私は
脳と神経の言語プログラミングというアメリカの心理学を学ぶ機会に恵まれました。
おそらく
このことが、彼女に対する私の子育ての中にも少なからず影響し、
そして、自分自身も強くしてくれました。
もうそこに、かつての借金に潰されそうになり
給食費が支払えず苦労していた私たちの姿は消え、
家族一丸となって頑張った3年間で、
私も1人サロンオーナーとしての経営者のメンタルや
お客様に対するコミニュケーション力も高まったのだと思います。
非常に影響したことは間違いありません。
2018年12月ついに220万という劇的な記録を生んだ1人サロン売上とともに、
2019年春、長女は無事に日本最古の名門音楽大学に現役で合格することができました。
音楽やってない家庭から
音大に行かせる、って
大変なことでしたけど、
サロンの売上も上がりまくって
結果がついてきてくれた。
人は思うことで、
人生も変えられる。
あなたが変われば
お客様も変わる。
そんなことを
この365日のメール講座では
お伝えできたらいいなぁと思っています。